「ピースおおさか」を“空襲テーマパーク”に変えるというのですか?

 

2013年9月22日、「ピースおおさかのリニューアルに府民・市民の声を!実行委員会」がピースおおさか館長と会見した際、全体を代表して「15年戦争研究会」が訴えた内容の概略です。

 

「ピースおおさか」を“空襲テーマパーク”に変えるというのですか?

 

はじめに

 

私たちは本年6月29日、港区民センター・ホールにおいて、「ピースおおさかのリニューアルに府民・市民の声を!シンポジウム」を開き、220人以上の参加のもと、別紙のような「基調提案と追加」を要請書としてまとめ、8月10日にピースおおさか館長へ提出、さらに21日には大阪府・市当局へ対してもその文書を示し、説明を行いました。館長はじめ府/市からは強い反対もなく、口頭でお話ししたことも含め、大方を肯定的に理解していただいたと考えていました。

 

ところが、9月になってピースおおさかから、府・市を通して議会筋へ提示された「ピースおおさか展示リニューアル『基本計画』中間報告」(以下「中間報告」)によりますと、これまでの私たちが行った要請(シンポジウムの前にもさらに一度要請をしています)は、すべて無視されました。これは、ピースおおさか館長および府・市当局の当事者性を疑わせるものであり、次回からはリニューアル計画の真の当事者を含めて会見していただくことを、これから要請せざるを得ません。

 

しかも、その「中間報告」の内容を拝見する限り、ピースおおさかを“空襲テーマパーク”にするものであり、とても子どもたちの教育のための施設などでなくなります。こんな計画のために2億5000万円もの府・市民の税金をつぎ込むことは、決して許されず、絶対にあってはならないものです。

 

そうした立場で9月22日、ピースの館長・岡田重信氏と会見し、以下のような説明いたしました。 

 

1、私たちの5つの要求は、「中間報告」ですべて無視されました

 

私たちが要請した一つは、「戦争遺物に語らせる展示を」ということでした。「戦争遺物」に代わる存在感、迫力と説得力を持つものは他にありません。また現物は多面性を持つため、リピーターを呼ぶ力も、ここから生まれます。ピースへはすでに多数の戦争遺物が寄贈されており、これを「遺産」としてよみがえらせることが、このたびのリニューアルの大きな意義と訴えました。

 

ところが「中間報告」によると、「最もパワーある(のは)当時の「証言」と「写真」の二大要素」であり、これを使って「ローコスト、ハイパフォーマンスな展示が可能」とし、「イメージ図」の「E」では写真パネルを多用する例を示し、まるで学園祭の1コマのように質感のない展示案が示されています(「証言」の欠落については後述)。「物に語らせる」ことによって生まれる展示の存在感は、かき消されています。

 

写真をまったく使うな、と言っているわけではありません。ただ、写真はあくまで補助として使う、というのが博物館が追求すべき姿勢です。ピースはこれまで「博物館類似施設」とされてきましたが、もはや「類似」さえも取り去ろうとしているように思えます。

 

私たちが要請した第二は、「子ども自らが考え、自ら育つ展示」でした。このため、「問いかけ」や「アート」を多用するよう提案し、子どもたちの「想像力」に訴え、彼らがより深く広く思考の世界へ自ら入っていけるよう様々な方法に腐心すべきとしました。「子ども目線」とはそういうことです。

 

ところが「中間報告」は、「方向性」としては一応「平和を自分自身の課題として考えることができる展示」とうたっていますが、示されたのは「体感」「実感」でした。「実物資料」も使うとしていますが、これはおそらく、「ジオラマ」や展示機材などを意味しているのでしょう。そして「空襲の恐怖」を示す「恐怖」の言葉を繰り返し5回も使っています。防空壕の中に入り、音、振動、光などを体験する展示計画が、当初から関係者から語られてきました。

 

もしこれらによって本当の空襲に近い「体感」をさせるなら、子どもたちはトラウマに陥るでしょう。空襲の本当の激烈さや悲惨さとは、とくに発達段階の初期にある子どもたちに耐えられるようなものではありません。心に外傷を負った子どもたちがピースにもう一度足を運びたいと思うことなど、なくなるでしょう。

 

本当の被害も恐怖も、想像力によってしか近づけないものです。またそうすることではじめて、人は他人の深刻な体験を自分のものとすることができます。映画「禁じられた遊び」は、戦闘シーン1コマもなく、空襲の映像も極めて象徴的に使われているにすぎません。ところが、美しい音楽に支えられ、子どもたちがする「死の遊び」を示すことで、戦争そのものが死の遊びであることを、何よりも人びとの心に刻み込みました。

 

NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」では、津波のシーンをガラスやプラスチックで描き、最大の被災シーンは、トンネルから出た先の、果てしなく広がる何もない空間(津波により地面全体が奪い去られた)を示すことで、もっとも雄弁に被災の激烈さを示しました。もし津波の「実感」「体感」をテレビでさせようとしたならば、被災者からトラウマが噴出したはずです。そうした配慮を、空襲を受けて今も生きている被災者、そして柔らかな心を持つ子どもたちに対してできない展示が、「子ども目線」であろう筈がありません。

  

私たちが要請した第三は、ピースの設置理念にある、加害と被害を合わせ取り上げる

ことでした。もしこれを怠るなら、「国際平和センター」と銘打ちながら、国内に閉じた施設になるだけでありません、戦争における国家間の憎しみと差別の連鎖が参観者に分からず、1945年3月13日、大阪に〝突如として爆弾が空から降ってきた〟「相手のいない戦争」を描くしかなくなると訴えました。そして現在と未来についても、「戦争の危機」は同様の憎しみの連鎖やミサイルや核兵器の存在によって続いていることを示せなくなる、としました。

 

とくに大阪空襲の前史となった南京や重慶への激烈な空爆、さらには日本へ連行されたアジアの人々の日本における空襲被害者の存在を展示しなければ、大阪は、アジアからの信頼を失い、観光客などの激減をもたらし、経済的な地盤沈下に拍車をかけることになると、繰り返し強調しました。これは橋下市長が「侵略と植民地政策の責任が日本にあることは間違いない」と新聞やツイッターで発言しておられる資料も示しながら、それと対立することにもなるとお伝えしました。

 

ところが「中間報告」は、当時を「世界中が戦争をしていた時代」と冒頭で描き、日

本が戦争をしかけたことへの責任の認識も、反省の念も描く余地をまったく奪ってい

ます。互いに戦争していたのであれば、加害も被害もなくなります。「責任」などという言葉も無用です。これを外してしまうことは、設置理念を踏みにじるだけでなく、国際的に悪い影響が大阪へ押し寄せさせることを意味する以上、ピース、府、市の当局者もその責任を問われることになります。

 

私たちが第四に要請したことは、戦後復興の影の部分、すなわち被害者の後遺症と苦悩がずっと続いていること、また平和の危機はいつでも襲ってきうることを展示していただきたいということでした。体験者の特設証言コーナーの設置も要請しました。

 

ところが、「中間報告」の「E.たくましく生きる大阪」のコーナーには、空襲被災

者の戦後の苦しみが、見事なばかりに出てきません。「展示設計方針」の「4.ローコスト、ハイパフォーマンスな展示」の箇所では「最もパワーある(のは)当時の「証言」と「写真」の二大要素」としているのですが、ここでいう「証言」がどんなものとなるか、それは被災者の方々を受け止めようという姿勢ではなく、たんに「パワー」のために被災者の証言を利用するのではないかと恐れます。

 

さらに「F.私たちの未来を創っていくために」のコーナーでは、「日本から一歩外

は戦争」と描き、日本国内は平和だが、外は戦争しているという対比が鮮明です。しかし、沖縄の米軍事基地は日本国内にあります。そこから各地へ爆撃機や戦闘機、軍艦や潜水艦が今も自由に発進しています。日本国内はすでに戦争に巻き込まれているのです。沖縄の方がこの展示を見れば怒るでしょう。戦争の局外にあって平和を守るよう呼びかける「中間報告」は、重大な欠陥を持っています。

  

2、今回の「中間報告」はピース大阪を「空襲テーマパーク」「アミューズメン

ト施設」にしようとするもの

 

「中間報告」は、私たちの以上一から四の要請をすべて蹴って、いったい何を目指そうとしているのでしょうか。そのヒントは「D.多くの犠牲と焼け野原になった大阪」のコーナー2にある「空襲の恐怖」の箇所であろうと思います。「恐怖」「恐怖」の語がその直前も合わせて5回も出てきていることは先に述べました。「恐怖」こそ「中間報告」にとって最も重要なキーワードであろうと思われます。

 

空襲の恐怖を本気で展示するならば、子どもたちはトラウマに陥るということも述べました。しかし、もし子どもたちをそれから守ろうとするなら、恐怖を、たとえばジェットコースター的な「怖さ」に置き換え、人びとを楽しませる施設にするしかないでしょう。これは、ピースおおさかを“空襲のテーマパーク”、不真面目な“アミューズメント施設”にすることを意味します。

 

残念ながら、そうした表現例がいくつも出てきます。展示設計方針には「中に入ってみたくなる」「覗いてみたくなる」という好奇心の引きつけ方、そして「イメージ図」の「D」には、「多くの犠牲と焼け野原になった大阪」として焼け跡が床一面に示され、瓦礫も置かれています。見学者は、その下に死者が眠っていることを想定もせず、踏みつける展示例が示されています。

 

これが、「空襲の犠牲者を追悼する」という「中間報告」の方向性なのでしょうか。私たちは、要請のトップ(これが第五点目になりますが)に「ピースの展示は犠牲者への追悼を中心にすえるべき」としてきました。その点は展示構想でも打ち出されているので賛意を示し、安心もしていました。ところが、「中間報告」にはこれを正面から裏切る「イメージ図」が掲載されたのです。私たちすべての要請が無視されたというのは、こうした意味ですし、15000人の空襲犠牲者を侮辱した「中間報告」は、ただちに撤回すべきです。

 

岡田館長は、9月26日と27日に、メールと電話で「15年戦争研究会」まで連絡し、「イメージ図にある床一面の市街地は、焼け跡であると私自身は理解していたけれど、乃村工芸社は、空襲前の写真を使う予定でいた」という説明をされました。ならばどうして乃村工芸社は市街地の横に瓦礫まで置いているイメージ図を作成したのか、改めて問わねばなりません。少なくとも、現在のピースの体制では、展示計画をこれ以上進めるべきではないことが明白になりました。

 

3、誰が私たちの要求を拒否し、中間報告を作成したのか?

 

9月22日、私たちはさらに次のような質問と新たな要請を館長に投げかけました。

 

1) 監修委員会へ私たちの意見を伝えたのか? また監修委員会できちんと議論して中間報告を纏めたのか?

 

2) 9/10朝日記事で、もず昌平さんは中間報告と矛盾した発言(「設置理念は変えない」)としている。

 

3) 「中間報告」は橋爪監修委員長(アミューズメント施設史)のアイデアとみられる。橋下氏に全権委任された橋爪氏がついに前面に出てきたと私たちは理解している。

 

4) 私たちの要求がすべて館長に拒否され、これ以上同じ形で会談する意義は低下した。

 

5)橋爪氏と私たちの会見を、館長はセツトして欲しい。

 

以上

 

ピースおおさかのリニューアルに府民・市民の声を!実行委員会